阿波の国・徳島の霊場のカテゴリ
第1番 霊山寺(りょうぜんじ)
四国遍路の第一歩を踏み出す「発願の寺」です。
天平年間(729~749年)、聖武天皇 (在位724~749年)の勅願寺として行基が開基しました。
のちの弘仁6年(815年)、四国を巡っていた弘法大師がこの地に留まり、21日間の修法を行って釈迦如来を感得し、その姿を刻んで本尊としました。
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第2番 極楽寺(ごくらくじ)
行基が開創し、弘法大師がこの寺で修行中の結願の日である7日目に、阿弥陀如来を感得し、 その姿を刻んで本尊とし四国霊場に定めました。
この木造の阿弥陀如来像は、平安時代末の作で国の重要文化財に指定されています。
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第3番 金泉寺(こんせんじ)
聖武天皇(在位724~749年)の勅願により、行基が開基しました。
当時、寺は金光明寺と称しましたが、後に弘法大師がこの寺を訪れ、現在の名(金泉寺)に改めて、四国霊場に定めました。
のち、亀山天皇(在位1259~1274年)の帰依が篤く、京都の蓮華王院にならって三十三間堂を建立し、山号を亀光山と称して学問所としたと伝えられています。
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第4番 大日寺(だいにちじ)
門前に広い駐車場があります。
その向こうに三方を山に囲まれた緑の中に、1階が角柱、2階が丸柱という朱塗りの鐘桜門が美しい姿を見せています。
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第5番 地蔵寺(じぞうじ)
奥の院の羅漢堂には怒り、笑い、悩み、泣き顔という、人間のさまざまな表情を持つ等身大の彩色された五百羅漢が立ち並んでいます。
この地蔵寺は土地の人々から「羅漢さん」の呼び名で親しまれています。
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第6番 安楽寺(あんらくじ)
安楽寺は、現在の場所より北西によった讃岐山脈の山ふところにある安楽寺谷にありました。
ここは、万病に特効のある温泉が涌いていて、温泉のある寺として親しまれていたといいます。
弘仁6年(815年)、この地を訪れた弘法大師が薬師如来を刻んで本尊とする堂宇を建てたのが寺の始まりです。
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第7番 十楽寺(じゅうらくじ)
大同年間(806~810年)この地で修行中の弘法大師が阿弥陀如来を感得し、本尊として刻んで安置したのが寺の始まりです。
その時、大師は人間の持つ八つの苦難を克服し、十の光明に輝く楽しみが得られるようにしたといいます。
これが寺号の由来とされてます。
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第8番 熊谷寺(くまたにじ)
弘仁2年(811年)、弘法大師がこの地で修行をしていたとき、熊野権現が出現し、黄金の観音菩薩像を授けられたといいます。
そこで、大師は霊木に等身大の千手観世音菩薩を刻み、その胎内に仏舎利120粒とこの観音像を納めて本尊としたのが熊谷寺の始まりです。
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第10番 切幡寺(きりはたじ)
切幡寺にはこんな言い伝えが残っています。
弘仁年間(810~824年)巡錫中の弘法大師がこの地で機を織る貧しい娘に出会いました。
大師はその娘に破れを繕う布を乞うと、娘は織ったばかりの白布を惜しげもなく断ち切って差し出しました。
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第12番 焼山寺(しょうさんじ)
焼山寺の開基は修験道の開祖、役行者小角(えんのぎょうじゃおづの)と伝えられています。
小角が焼山寺山を道場として拓き蔵王権現を祀ったことに始まるといいます。
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第13番 大日寺(だいにちじ)
弘仁6年(815年)弘法大師がこの地で護摩修法をしていると、大日如来が現れて「この地は霊地なり、心あらば一宇を建立せよ」と告げたといいます。
弘法大師は大日如来の姿を刻み、道宇を建て本尊として安置しました。
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第14番 常楽寺(じょうらくじ)
弘仁6年(815年)、弘法大師が四国を巡錫中、この地に滞在して17日間の修禅をしました。
このとき弥勒菩薩が多くの菩薩を従えて現れ、説法したので、大師は霊木にその姿を刻んで堂宇を建てて本尊にしたといいます。
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第15番 国分寺(こくぶんじ)
聖武天皇(在位724~749年)が、天平13年(741年)国土安全・五穀豊饒を祈願するため諸国に金光明四天王護国之寺(国分寺)建立の詔を出しました。
この寺はその国分寺のひとつです。
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第16番 観音寺(かんおんじ)
天平13年(741年)、聖武天皇(在位724~749年)の勅願道場として創建されました。
のちの弘仁7年(816年)、弘法大師がこの地を訪れ、等身大の千手観世音菩薩を刻み本尊とし、脇侍として不動明王と毘沙門天を造像して開基しました。
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第17番 井戸寺(いどじ)
天武天皇の勅願道場として、天武天皇2年(673年)、建立した妙照寺が前身と伝わっています。
聖徳太子の作といわれている七仏薬師如来は四国霊場中、最大の本尊です。
また、本尊を七仏薬師如来にしているのは、四国霊場では、ここ井戸寺だけです。
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第18番 恩山寺(おんざんじ)

聖武天皇(在位724~749年)の勅願寺として、行基が開基しました。
当時は大日山福生院密巌寺といい女人禁制の道場でした。
後に弘法大師がこの地に滞在していたとき、大師の母堂(玉依御前)が訪ねてきました。
しかし、女人禁制のため上がることができませんでした。
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第19番 立江寺(たつえじ)
聖武天皇(在位724~749年)の勅願により、行基が開基しました。
行基は白鷺に導かれてこの地にやってきたといいます。
光明皇后(701~760年)の安産を祈願し、約6センチの小さな金色の地蔵菩薩を刻み本尊として安置しました。
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第20番 鶴林寺(かくりんじ)
鶴林寺は桓武天皇(737~806年)の勅願寺だったが、弘法大師がこの地を訪れたとき、つがいの鶴が小さな黄金の地蔵尊を羽に包んで守り運んできたといいます。
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第21番 太龍寺(たいりゅうじ)
太龍寺は延暦17年(798年)、桓武天皇(在位781~806年)の勅命により、阿波国司・藤原文山が伽藍を建立し、弘法大師が刻んだ虚空蔵菩薩を本尊として開基しました。
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第22番 平等寺(びょうどうじ)
平等寺の開基は弘仁5年(814年)、弘法大師が41歳の時です。
片田舎にあり、石段を登ったところにあります。
弘法大師がこの地にやって来たとき、五色の雲がたなびき、梵字が出現したといいます。
梵字はやがて薬師如来の姿になったそうです。
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第23番 薬王寺(やくおうじ)
薬王寺は阿波路最後の寺です。
厄除けの寺(根本道場)として信仰を集め、全国的に知られています。
本堂に詣るには、最初の33段を女坂、次の42段を男坂と呼ぶ石段を上っていきます。
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