伊予の国・愛媛の霊場のカテゴリ
第40番 観自在寺(かんじざいじ)
観自在寺は伊予の国・最初の札所です。
大同2年(807年)、桓武天皇(在位781~806年)の死後、その皇太子であった平城天皇(在位806~809年)の勅願により弘法大師が開基しました。
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第41番 龍光寺(りゅうこうじ)
龍光寺は、南予地方の米どころ・三間平野を見下ろす山の中腹にあります。
弘法大師がこの地を訪れたとき、稲束を担いだ白髪の老人に出会いました。
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第42番 佛木寺(ぶつもくじ)
大同2年(807年)、弘法大師がこの地を巡り歩いていたところ、牛を引いている老人に会いました。
その老人は弘法大師に牛に乗るように勧めました。
弘法大師は牛の背に乗り歩を進めていると、楠の大木の枝に宝珠が引っ掛かっているのを見つけました。
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第43番 明石寺(めいせきじ)
明石寺は、欽明天皇(在位539~570年)の勅願で、円手院正澄という行者が千手観世音菩薩を安置し、七堂伽藍を建立し開基したと伝わっています。
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第44番 大宝寺(だいほうじ)
大宝寺は、用明天皇(在位585~587年)の時代、明神右京と隼人という狩人の兄弟が十一面観世音菩薩像を発見し、菅生山に祀ったのが寺の始まりといいます。
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第45番 岩屋寺(いわやじ)
その昔、この山中に法華仙人という神通力を持った女が住んでいました。
弘仁6年(815年)、弘法大師がこの地を訪れると女は大師に深く帰依し、一山を献じて大往生を遂げたといいます。
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第46番 浄瑠璃寺(じょうるりじ)
浄瑠璃寺は、和銅元年(708年)に行基が白檀の木で本尊・薬師如来と脇仏の日光菩薩、月光菩薩、十二神将を刻んで安置し、開基しました。
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第47番 八坂寺(やさかじ)
八坂寺は修験道の開祖・役行者小角(えんのぎょうじゃおづの)が開いたと伝わっています。
後の大宝元年(701年)、文武天皇(在位697~707年)の勅願寺として、伊予国司越智玉興が七堂伽藍を建立しました。
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第48番 西林寺(さいりんじ)
西林寺は寺伝によると天平13年(741年)、聖武天皇(在位724~749年)の勅願により行基が本尊・十一面観世音菩薩を刻み、開基しました。
当時は、徳威の里(松山市小野播磨塚あたり)にあり、一宮別当寺でした。
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第49番 浄土寺(じょうどじ)
浄土寺は、天平年間(729~749年)に孝謙天皇(在位749~758年)の勅願により恵明上人が開基しました。
このとき、行基が刻んだ釈迦如来を祀り、本尊にしたと伝えられています。
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第50番 繁多寺(はんたじ)
繁多寺は、孝謙天皇(在位749~758年)の勅願寺として、行基が薬師如来を刻んで開基しました。
当時の寺名は光明寺といいました。
後に弘法大師がこの地を訪れ、寺名を東山繁多寺に改めました。
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第51番 石手寺(いしてじ)
石手寺は、寺伝によると神亀5年(728年)、聖武天皇(在位724~749年)の勅願により、伊予の国守・越智玉純が鎮護国家の道場として伽藍を建立したことに始まります。
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第52番 太山寺(たいさんじ)
その昔、用明天皇(在位585~587年)の頃、豊後の国(大分県)に住む真野長者(炭焼き小五郎)が、大坂への船旅の途中に高浜沖(瀬戸内海、松山市)で暴風雨に遭うが、龍雲山(経が森)に光明を見て助かりました。
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第53番 円明寺(えんみょうじ)
円明寺は天平勝宝元年(749年)、聖武天皇(在位724~749年)の勅願により行基が本尊・阿弥陀如来を刻み、開基しました。
脇侍は観世音菩薩と勢至菩薩です。
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第54番 延命寺(えんめいじ)
延命寺は、天平年間(729~749年)聖武天皇(在位724~749年)の勅願により行基が不動明王を刻んで開基しました。
後に弘法大師が巡錫し、四国霊場になりました。
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第55番 南光坊(なんこうぼう)
四国霊場中、寺名に「坊」が付くのはここ南光坊だけです。
これは、瀬戸内海にある大三島の大山祗神社の別宮として創立されているからです。
大山祗神社は航海の安全祈願の神・大山積神が祀られています。
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第56番 泰山寺(たいさんじ)
泰山寺がある一帯は、毎年梅雨の時期になると、蒼社川が氾濫し、田畑や家屋、さらには多くの人命を奪っていました。
それゆえ、村人たちは、蒼社川のことを「人取川」とも呼んで恐れていました。
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第57番 栄福寺(えいふくじ)
栄福寺は、嵯峨天皇(在位809~823年)の勅願により弘法大師が開基しました。
このころ瀬戸内海では海難事故が多く、弘法大師が府頭山の頂で海神供養の護摩を修していると、満願の日に海は穏やかになり、海中から阿弥陀如来が現れたといいます。
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第58番 仙遊寺(せんゆうじ)
仙遊寺は、天智天皇(在位668~671年)の勅願により伊予国守・越智守興が開きました。
本尊の千手観世音菩薩は天智天皇の念持仏で竜女が刻み、竜宮から届けたと伝えられています。
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第59番 国分寺(こくぶんじ)
聖武天皇(在位724~749年)の勅願により、諸国に建立されたのが国分寺です。
伊予の国分寺は天平13年(741年)、行基が薬師如来を刻んで開基しました。
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第60番 横峰寺(よこみねじ)
横峰寺は、西日本最高峰の石鎚山(1982m)の中腹(標高700m)にあり、険しい遍路道を行く四国霊場最大の難所といわれています。
今は車で狭い狭い道をくねくね曲がりながら、お寺の500m手前まで上って行くことができます。
道路管理費として、1800円かかります。
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第61番 香園寺(こうおんじ)
香園寺は、用明天皇(在位585~587年)の病気平癒を祈願して聖徳太子が建立しました。
この時、金衣白髪の老翁が現れ、大日如来を本尊として安置したといいます。
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第62番 宝寿寺(ほうじゅじ)
宝寿寺は、天平年間(729~749年)聖武天皇(在位724~749年)が諸国に一宮を設けたとき、伊予の一の宮神社の別当寺として、中山川の下流の白坪に創建されました。
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第63番 吉祥寺(きちじょうじ)
吉祥寺は、平安初期に弘法大師が開基したと伝えられています。
弘法大師がこの付近を通りかかったとき、不思議な光を放っている檜を見つけ、一刀三礼して本尊の毘沙聞天と脇仏の吉祥天、善尼師童子を刻んで安置したと伝えられています。
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第64番 前神寺(まえがみじ)
前神寺は、霊峰石鎚山(標高1981m)のふもとに建つお寺です。
奈良時代の初め役行者小角(えんのぎょうじゃおづの)が開基したと伝えられています。
役行者小角が石鎚山頂で修練中に蔵王権現が現れたといいます。
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第65番 三角寺(さんかくじ)
三角寺は、伊予の国、最後のお寺です。
聖武天皇(在位724~749年)の勅願寺で、行基が開基しました。
弘仁6年(815年)、弘法大師が入山し、本尊十一面観世音菩薩を刻んで安置しました。
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