第86番 志度寺(しどじ)

第86番・志度寺の概要

志度寺・五重塔

志度寺は、推古天皇33年(625年)、凡園子尼(おおしそのこに)が霊木で十一面観世音菩薩を刻み、堂宇を建てて安置したのが始まりです。
志度寺は、瀬戸内海・志度湾の近くにあります。



志度寺には「海女の悲しい伝説(玉取り伝説)」が残っています。

むかし、天智天皇(在位668~671年)の頃、藤原不比等(ふじわらのふひと、藤原鎌足の息子であり、公明皇后の父親)の妹、白光女は唐の高宗皇帝に望まれ、その妃になりました。

後に不比等が亡父鎌足の供養として奈良に興福寺を建立するにあたって、妹(白光女)は唐に伝わる華原磬、泗浜石、面向不背という三つの宝珠を送りました。
しかし、船が讃岐・志度の沖で難破し、三つの宝珠のうち面向不背の玉が、竜神に奪われてしました。

志度寺・本堂

この玉を取りもどすために藤原不比等は、身分を隠し志度の浦を訪れますが、3年たっても玉を取り返すことが出来ませんでした。

そのうち、不比等は美しい土地の漁師の娘(海女)との間に房前(ふさまえ)という男児をもうけます。

ある日、不比等は自分の身分と都から志度に来た目的を海女に話しました。
不比等から事情を聞いた海女は我が子、房前を藤原家の跡取りにしてほしいと頼んで、竜神から玉を取り返すために死を決意して、海に潜りました。
竜神と戦って玉を奪い返した海女は乳房の下を切り裂き、そこに玉を隠して浮かび上がりました。
そして、傷ついた海女は不比等の胸の中で息絶えました。

不比等は海女の死を悼んで墓を建て、死度(志度)道場と呼ぶ堂を建立し、海女の菩提を弔いました。
そして、面向不背の玉は無事興福寺に納められました。

その後、京の都で藤原家を継いで大臣に出世した海女と不比等の子である房前は母の冥福を祈るため、行基を伴い志度を訪れ、諸堂を再建し、千基の石塔を建てました。
その時、寺号を志度寺に改めたと伝わっています。
その海女の墓は五重塔の横を抜けた境内の西北隅にあります。

志度寺・大師堂

志度寺のどっしりとした構えの仁王門は、寛文10年(1670年)、藩主松平頼重によって建立されました。
左右に立つ木造金剛力士像は、鎌倉時代の運慶の作と伝えられています。
志度寺・本堂は国指定の重要文化財になっています。

第86番 補陀洛山 志度寺(ふだらくさん しどじ)

香川県大川郡志度町(現、さぬき市)志度1102
JR高徳線志度駅から約700m
高松自動車道・志度ICから県道141号、国道11号を志度町方面へ。約10分。
御詠歌 いざさらば今宵はここに志度の寺 祈りの声を耳にふれつつ
本尊/十一面観世音菩薩 宗派/真言宗善通寺派 開基/藤原不比等 宿坊/なし
次の第87番札所・長尾寺まで約7km

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