内子町(八日市・護国の町並み)、内子座

ちょっと寄り道・愛媛県

内子座

第43番・明石寺からまでは、約88kmありますので、途中「内子町」に寄り道です。
内子町は、江戸末期から木蝋や和紙などの生産で栄えた町です。



八日市・護国の町並み

旧街道沿いの八日町・護国地区には、江戸末期から明治・大正時代にかけて建てられた豪壮な商家・民家・土蔵などの建物が軒を連ね、当時をしのぶ景観が約600mにわたり残されています。

この古い町並みをゆっくり散策することをおすすめします。

八日町・護国の町並み

製蝋町の面影を残す町並みには、浅黄色と白漆喰で塗り込まれた重厚な外壁が特徴の土蔵や、なまこ壁に出格子のある建物が続いています。
漆喰彫刻や虫籠窓など一軒一軒が独自の工夫を凝らしているようです。
最も特徴があらわれている建物は、最盛期に建てられた本芳我邸、上芳我邸、大村家で、いずれも国の重要文化財に指定されています。

上芳我邸は、明治27年(1894年)に建てられ、主屋、炊事場、仕舞部屋、離れなどが木蝋資料館・上芳我邸として、公開されています。
本芳我邸と大村家は内部見学はできません。

八日市・護国地区は、昭和57年(1982年)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

八日市・護国の町並み

木蝋(もくろう)
ハゼノキの実に含まれる蝋を圧搾または精製した油脂の総称で、「和ロウソク」等の原料になりました。ほかに、化粧品、研磨剤などにも活用されました。
現在主流の石油からつくるロウソクとは異なっています。
木蝋生産は、主に九州・四国地方で明治中期まで盛んでしたが、大正時代には石油製品の開発などにより衰退しました。
内子町では、江戸時代中頃から大洲藩の殖産興業諸策を受けてハゼ蝋の生産が始まり、技術革新により江戸時代末期には飛躍的に生産量が伸び、町が栄えました。

八日市・護国の町並み

八日市・護国の町並み

松山自動車道・内子五十崎IC→国道56号を松山方面へ、八日市・護国の標識を左に曲がり、八日市・護国の町並み駐車場へ(約5分)。

内子座

大正5年(1916年)、大正天皇の即位を祝して内子町の有志によって建てられた本格的な歌舞伎劇場です。

内子座

こけら落としの興業は「吉田伝治郎の人形芝居」だったそうです。

当時の人々の楽しみは、大阪歌舞伎とこの人形芝居であり、弁当、酒、肴持参で見物に出掛けたそうです。

内子座は、木造2階建て瓦葺き入り母屋造りで、歌舞伎、人形芝居、落語、映画などさまざまな娯楽を提供してきました。

昭和60年(1985年)、老朽化のため取り壊されるところを、町民の熱意により太鼓櫓、枡席、回り舞台、花道など当時のまま復元し、劇場(芝居小屋)として再出発しました。

内子座

花道、廻り舞台、枡席などの造りを生かし現在でも芝居やコンサートなどが開催されています。
催しがない時は中を自由に見学できます。
現在は、年間7万人の見学客が訪れているそうです。
内子座は、現存する木造芝居小屋としては愛媛県下最古のものです。

内子の道の駅「内子フレッシュパークからり」はおすすめのところです。
ここの特産物販売所では朝どりの内子の新鮮な野菜や果物、生花、加工品、アイスやシャーベットなどを販売しています。
かなりの人気で、売り切れ続出だそうです。(朝早くに行くことをおすすめします。)
レストランもあります。

内子町

第43番・明石寺から内子までは、松山自動道(宇和IC→内子五十崎IC)経由して約35km、約40分。
内子から第44番・大宝寺までは、国道380号を久万高原町方面へ約45km、約1時間30分。

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