四国遍路の豆知識
遍路用語
四国遍路で使う用語
普段の会話では、あまり聞き慣れないと思います。
あらかじめ知っておくと、納経所や宿などで、またお遍路さん同士の会話にも弾みがつくでしょう。
お四国
四国八十八ヶ所の札所のこと。「お四国さんを回られよんですか?」というふうにたずねられることがあります。
四国霊場巡拝そのもの、またお遍路さんをさして「お四国」「お四国さん」などといいいます。
同行二人(どうぎょうににん)
「同行」は一緒に神仏に参詣する人、道づれのことです。巡拝する時、たとえ一人であっても、常に弘法大師と一緒という意味です。
札所(ふだしょ)
遍路が巡拝するお寺のことです。打つ
お遍路さんが霊場(札所)を巡拝することを「打つ」といいます。これは昔、名前を書いた木の納札を札所の大師堂や本堂の柱に打ち付けていました。
そのことから、寺を「札所」、お参りすることを「打つ」といいます。
今では、納札は木から紙になったので「打つ」姿は見られません。
この言葉だけが残ったものです。
順打ち(じゅんうち)
基本的な巡拝方法で、第1番札所から順番に第2番、第3番・・・・と札所を順番にまわることを「順打ち」といいます。仏教の教理「東西南北」右まわりで、四国を考えた場合、徳島県が第1番札所にあたります。
逆打ち(ぎゃくうち)
順打ちとは逆に回ることを「逆打ち」といいます。逆打ちするとお大師様に会えるという言い伝えがありますが、順打ちよりも道が険しく、困難なコースが多いので、ご利益が多いといわれています。
逆打ち一回は順打ち三回の功徳や利益があるとも言われています。
通し打ち
八十八ヶ所の霊場全部を一回で巡ってお参りすることを「通し打ち」といいます。区切り打ち
数回に分けて巡ることをいいます。どこの札所から始めてもよいことになっています。
わたしは、第45番 岩屋寺から始めましたので、「区切り打ち」をしたことになります。
打ち留め
その日の巡拝の最終札所を打ち終える時に用いる言葉です。
一国参り(いっこくまいり)
88ヵ寺を一度にまわれない人のために、ひとつの県を一国として巡拝し終えることです。2泊3日から3泊4日でまわれます。
週末の休日を利用する人が多いようです。
発願(ほつがん)
巡拝を始めようと思うことをいいます。最初の札所(第1番)をお参りする(打つ)ことです。
第1番札所・霊山寺(りょうぜんじ)でなくても、巡拝を始めた最初のお寺を「発願の寺」と呼びます。
わたしの場合は、第45番・岩屋寺が「発願の寺」ということになります。
結願(けちがん)
四国88ヶ所すべての巡拝が終わることです。満願ともいいます。
番号に関係なく88ヶ所目が「結願の寺」です。
わたしの場合は、第88番 大窪寺が最後のお寺でしたので、大窪寺が「結願の寺」ということになります。
お礼参り
無事に巡拝できたことの報告とお礼の参拝を発願の寺(打ち始めの札所)に参拝することです。また、四国八十八ヶ所巡拝の場合は、弘法大師の入定地である高野山・奥の院に参拝します。
遍路転がし(へんろころがし)
転倒しそうになるくらい急な坂がある難所をいいます。四国88ヶ所巡拝で用いられる言葉です。
先達さん(せんだつさん)
四国霊場を何度もまわっている人で、巡拝の道案内役であり、リーダーでもある存在です。巡拝コースを何度も廻って札所の歴史を熟知し、人間的にも尊敬されていることが条件です。
四国霊場会が定める制度では、巡拝4回以上の経験者から公認されます。
道案内はもちろん、札所でのお勤めの導師や宿泊所、昼食の手配など順拝中の一切の責任を負います。
般若心経(はんにゃしんぎょう)
仏教の教えを二百六十二字にまとめたものです。般若心経を唱えること、写経することは、大般若経六百巻を読むことに等しいくらいの功徳があるそうです。
また、すべての苦厄が除かれるともいわれています。
四国八十八ヶ所では、参拝の際に唱えることが多いようです。
御宝号(ごほうごう)
南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)。「南無」とは帰依すること。
「遍照金剛」とはお大師さまが唐の都、長安で恵果阿闍梨からあたえられた灌項名です。
つまり、弘法大師の教えを信じ、自分をお大師さまに任せるという意味です。
参拝の際に唱えますが、お遍路さん同士の挨拶言葉としても使われています。
真言
心理を伝える仏の言葉です。仏・菩薩の誓いや教え、功徳などを秘めている呪文でもあり、別名、呪・密言とも言われています。
内容は陀羅尼(古代インドの呪文)のため解明されていない。
弘法大師が、自ら開創した宗派に真言宗と名付けたのはこの真言こそ仏の言葉と信じたからです。
ご本尊
寺院の本堂には、ご本尊がまつられています。ご本尊とは、その寺院の属する宗派で定められた礼拝の対象となる仏像とか曼陀羅、掛け軸などのことです。
御詠歌
お勤めの最後に謳う和歌です。内容は、札所本尊の功徳や霊験、札所周囲の風景を謳ったものが多く、経文読誦と同じ功徳があるといわれています。