四国遍路の基礎知識
弘法大師(空海)
四国遍路(四国霊場めぐり)は、弘法大師ゆかりの聖地を訪ねる旅でもあります。
弘法大師(774~835)は、平安時代初期の高僧で、真言宗の開祖として知られています。
弘法大師(空海)は、どのような一生だったのでしょうか。
弘法大師は、774年(宝亀5年)、香川県多度津郡屏風浦(現在の善通寺市)に生まれました。
5、6歳のころ、八葉の蓮華の中に坐り諸仏と語る夢をしばしば見たといいます。
15才で京に出て勉学に励みましたが、一人の出家者との出会いから、生地である四国の山や海辺に修行を求め、厳しい修行をしたといいます。
徳島県の第21番 大龍寺があるところの岩山で百日修行をした後、高知・室戸岬の洞窟で修行後に神秘体験をし、洞窟の中からみた外の風景(空と海)から後に名を「空海」と改めたといいます。
804年(延暦23年)、31歳の時に、遣唐使として唐に渡り、長安の青龍寺にて、密教の第一人者であった恵果(けいか)からその極意をすべて学んで2年後に帰国しました。
第88番 大窪寺
帰国後は京の都に入り、嵯峨天皇の庇護の下、真言密教を人々に広めました。
また、故郷讃岐から要請を受け、唐から持ち帰った科学技術を駆使し、満濃池(まんのういけ)の工事を完成させました。
ちなみに、この満濃池は、日本最大の農業用溜池です。
近くには、国営讃岐まんのう公園があります。
その後は、修禅の道場として高野山を下賜されたいと朝廷に願い出て、京都の東寺と高野山の間を往復しながら活動を続けました。
そして835年(承和2年)、62歳のとき「56億7000年後に弥勒菩薩とともによみがえる」と弟子たちに言い残して、永遠の禅定に入ったと伝えられています。
弘法大師・空海は、宗教家としてのみならず、書家、芸術家、科学者、哲学者など万能の才に秀でた天才だったようです。
各霊場には必ずといっていいほど(たぶん全部だったと思いますが)、弘法大師の像があります。