四国の霊場八十八ヵ所
阿波の国・徳島県の霊場
第10番 切幡寺(きりはたじ)
切幡寺にはこんな言い伝えが残っています。
弘仁年間(810~824年)巡錫中の弘法大師がこの地で機を織る貧しい娘に出会いました。
弘法大師はその娘に破れを繕う布を乞うと、娘は織ったばかりの白布を惜しげもなく断ち切って差し出しました。
そして身の上を語ったのち、亡き父母の菩提を弔うため観音菩薩がほしいと大師にお願いしました。
大師は娘の願いを聞き入れ、千手観世音菩薩を刻み本尊とし、一寺を建立しました。
そして娘に得度させると娘はたちまち光り輝いて即身成仏(現世にある身のままで仏になること)して、千手観音に変身したといいます。
切幡寺は、室町時代は有力な寺院で、足利尊氏が発願して国ごとに置いた利生塔があったお寺です。
しかし、天正年間(1573~1592年)の堂宇を焼失し、明治42年(1909年)にも火災に遭っています。
切幡寺は切幡山(標高155m)の南斜面にありますので、参道は急な上り坂になっています。
山門をくぐって本堂まではさらに333段の石段を上っていきます。
本堂に安置されている本尊は、二体あり、南面して千手観音、北面して即身成仏の観音(秘仏)が祀られています。
本堂奧の山腹には、上が円形、下が方形の平面を持つ切幡寺大塔があり、国の重要文化財になっています。
もともとは徳川家康の勧めにより、豊臣秀吉の増進菩薩のため慶長12年(1607年)豊臣秀頼が大坂・住吉大社神宮寺に建立したものです。
明治6年(1873年)にこの場所に解体移築しました。
最初は、初重部のみ仕上げ、のちに二重部を仕上げ、完成まで10年を要したといいます。
この大塔の特徴である五間四面にして、初重と二重との間が方形をなす形式は、本邦唯一であり、国指定の重要文化財になっています。
切幡寺境内から見た風景
ありがたや
高野の山の
いわかげに
大師はいまに
をわしますなる
第10番 得度山 切幡寺(とくどざん きりはたじ)
徳島県阿波市市場町切幡字観音129
JR徳島線鴨島駅から約10km
徳島自動車道・土成ICから国道318号を鴨島町方面へ。さらに県道139号を市場町方面へ。約25分
御詠歌 欲心をただ一筋に切幡寺 後の世までの障りとぞなる
本尊/千手観世音菩薩 宗派/高野山真言宗 開基/弘法大師 宿坊/なし
次の第11番札所・藤井寺まで約12km、車で約35分