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四国の霊場八十八ヵ所

伊予の国・愛媛県の霊場

第51番 石手寺(いしてじ)

第51番石手寺仁王門

石手寺は、寺伝によると神亀5年(728年)、聖武天皇(在位724~749年)の勅願により、伊予の国守・越智玉純が鎮護国家の道場として伽藍を建立したことに始まります。

翌年、行基が開眼した薬師如来を本尊として安置し、安養寺と名付けました。

それから約100年後、弘法大師が巡錫し、それまで法相宗だったものを真言宗に改めさせ、四国霊場に定めました。

安養寺が現在の寺名・石手寺に変わったのは、四国遍路の祖、衛門三郎の生まれかわりの男児が「衛門三郎再来」と書いた小石を左手に握っていたといわれることに由来しています。

石手寺三重の塔

道後湯築城主・河野息利に男の子が生まれましたが、この子は生後3年経っても左手が開きませんでした。
両親は悩んだ末に安養寺の住職に加持を頼みました。
祈祷によりやっと開いた左手の掌から小石が転がり落ちました。
その小石に「衛門三郎再来」という文字がありました。
そこで寺名を石手寺に改めたということです。
寛平4年(892年)のことです。

この石は、宝物館に展示されています。

石手寺は、近くに日本最古の温泉といわれる道後温泉があるせいか、お遍路さんにまじって観光客も多く、いつも多くの人で賑わっています。
名物のおやきや遍路用品などを売っている参道の仲見世を通っていきます。
石手寺の仁王門は鎌倉時代末期に建造されたもので国宝に指定されています。
境内は広く、三重の塔、鐘楼、本堂、銅鍾はいずれも国指定の重要文化財になっています。

大師堂の右手にある訶梨帝母天(かりていもてん)には鬼子母神が祀られており、子授けの神様です。
ここの石を持って帰れば、必ず子どもが授かるといいます。
そして、無事出産を終えると石に名前を書いて返すそうです。

境内の中ほどには、「湯音石(ゆおといし)」という高さ1mほどの角柱があります。
上部には穴があいていますが、その穴に耳を当てると、道後温泉の湯音が聞こえるといわれています。

石手寺訶梨帝母堂
訶梨帝母天(子授け鬼子母神)

伊予の秋
 石手の寺の
  香盤に
 海の色して立つ
  煙かな
     与謝野 晶子

第51番 熊野山 石手寺(くまのさん いしてじ)

愛媛県松山市石手2-9-21
JR予讃線松山駅から約5km
松山自動車道・松山ICから国道33号、国道11号、国道317号を道後温泉方面へ。約35分。
御詠歌 西方をよそとは見まじ安養の 寺に参りて受くる十楽
本尊/薬師如来 宗派/真言宗豊山派 開基/行基 宿坊/なし
次の第52番札所・大山寺まで約13km、車で約30分