四国の霊場八十八ヵ所
伊予の国・愛媛県の霊場
第54番 延命寺(えんめいじ)
延命寺は、天平年間(729~749年)聖武天皇(在位724~749年)の勅願により行基が不動明王を刻んで開基しました。
後に弘法大師が巡錫し、四国霊場になりました。
当初は、今治西北の近見山頂に建っていて、嵯峨天皇(在位809~823年)の勅願により弘法大師が再興したときは、近見山円明寺と名付けられました。
弘法大師が再興してからは、七堂伽藍も建てられ、大いに栄えましたがたび重なる兵火のため寺勢が次第に衰え、天正年間(1573~1592年)に現在の場所に移りました。
明治以前までは第53番・円明寺と同じ寺名でまぎわらしかったが、明治初期に現在の寺名・延命寺に改められました。
度重なる戦火にあったからか、古くからの梵鐘は戦いの合図に使われ、夜になると誰もたたかないのに鳴り出すという噂が流れたので海に沈めたといいます。
現在の梵鐘は、宝永元年(1704年)に時の住職が自らの財で鋳造したものです。
この梵鐘のそばに、元禄年間(1688~1704年)に農民の窮乏を救うために年貢米を軽くすることを代官に直訴した土地の庄屋、越智孫兵衛の墓があります。
延命寺の山門は、元今治城の城門のひとつでその建造年代は不明ですが、一説には、天明年間のものだと言い伝えられています。
明治3、4年に今治城を取り壊したときに譲り受けたそうです。
延命寺のまわりは田んぼが広がり静かにお参りできます。
境内に続く参道の両側は、売店などが並んでいます。
第54番 近見山 延命寺(ちかみざん えんめいじ)
愛媛県今治市阿方甲636
JR予讃線今治駅から約5km
西瀬戸自動車道(しまなみ海道)・今治ICから国道196号を大西町方面へ。さらに県道38号を。約5分。
御詠歌 くもりなき鏡の縁とながむれば 残さず影をうつすものかな
本尊/不動明王 宗派/真言宗豊山派 開基/行基 宿坊/なし
次の第55番札所・南光坊まで約4km、車で約15分